# 花火の「たまや〜」、その玉屋は江戸を追放されて一代で消えている

配信日: 2026-09-16(夕18:00配信) / 通巻 第151号 / カテゴリ: 歴史

花火が夜空に開いた瞬間の「たーまーやー」。あれが江戸時代の花火屋の屋号で、ライバルの「かーぎーやー」とセットだった——というあたりまでは聞いたことがある人も多いはず。問題はその先だ。今も日本中で叫ばれ続けている玉屋という店は、とっくに存在しない。しかも消え方が派手すぎる。

1843年(天保14年)、玉屋は自分の店から火を出した。火は町を巻き込む大火事になり、当主・玉屋市兵衛は責任を問われて江戸を追放される。玉屋はそのまま一代限りで廃業。火薬を商う店の失火に言い訳はきかなかった。火で江戸を沸かせた店が、火で江戸から追い出されたわけだ。

そもそも玉屋は、鍵屋で番頭を務めていた職人が暖簾分けしてもらった分家である。屋号の由来も対になっていて、鍵屋が守護神とした稲荷の狐は、一方が鍵を、もう一方が玉をくわえている。そこから名前を分けた。1810年から両国の川開きでは上流を玉屋、下流を鍵屋が受け持ち、観客は良かったほうの屋号を叫ぶ。つまりあの掛け声、もともとは投票用紙のようなものだった。しかも分家のはずの玉屋は、本家の鍵屋が「またやられた」と悔しがる姿を川柳に詠まれるほどの人気を集めている。

不思議なのはここからで、消えたほうの名前のほうが濃く残った。花火大会で飛ぶ声は今も圧倒的に「たまや」が多い。理由は諸説あり、玉屋の花火が見事すぎて記憶に焼きついたからという説のほかに、発音のしやすさを挙げる説もある。「たまや」は「あ」の音が続き、喉のどこにも力を入れずに大声が出せる。「かぎや」より遠くまで届いてしまう。180年分の優勢の正体が口の開き方だったとしたら、ずいぶん身も蓋もない話だ。

ちなみに、掛け声で負けたように見える鍵屋のほうは、1659年の創業から途切れずに続いている。2000年には天野安喜子が女性として初めて15代目鍵屋を襲名した。会社が残った鍵屋と、声が残った玉屋。どちらが勝ちなのかは、次の花火大会でどちらの名を叫ぶかで決めてほしい。

## 出典

- [宗家花火鍵屋 - Wikipedia](https://ja.wikipedia.org/wiki/宗家花火鍵屋) — "『玉屋!』『鍵屋!』の掛け声が掛かるようになり、この掛け声をする風潮は21世紀となった現在にも残っている"(major)
- [花火の「玉屋・鍵屋」とは？その意味と由来を知れば花火観賞がもっと楽しくなる | 全国花火データベース](https://expo2021.jp/archives/164) — "1843年、玉屋は大規模な失火を起こし、江戸の町を巻き込む火災の責任を問われ、玉屋市兵衛は江戸を追放されました。その結果、玉屋は一代限りで廃業という運命を辿ります。一方で鍵屋は屋号を守り続け、現在では伝統を引き継ぐ老舗花火師としてその活動を続けています。"(web)
- [花火の掛け声「たまや〜」の玉屋は江戸を追放、鍵屋は今も続いてる？ - まぐまぐニュース！](https://www.mag2.com/p/news/215100) — "玉屋は1843（天保14）年に火を出してしまい、大火事となります。その結果、当主の玉屋市兵衛は江戸を追放、廃業となってしまいます。"(web)
- [花火のあのかけ声の代名詞「玉屋」の悲しい事実｜ウォーカープラス](https://www.walkerplus.com/article/23027/) — "玉屋は鍵屋で番頭を務めていた腕のよい職人・清七が独立し、暖簾分けしてもらった分家"(major)

## こちらもちなみに

- [「うちは幽霊屋敷」と自分で宣伝した家が、裁判所に「法的に幽霊屋敷」と認定された](https://chinamini.app/a/2026-07-27/morning.md)
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