# 和菓子の寒天、旅館のゴミ捨て場から生まれた

配信日: 2026-10-28(朝7:00配信) / 通巻 第228号 / カテゴリ: 食

ようかんや水ようかん、あんみつの具材。日本の和菓子の土台を支えている寒天は、テングサなどの海藻を煮てこした液を固め、凍結と乾燥を繰り返して作る乾物だ。ほぼノンカロリーで食物繊維が豊富なため、近年は健康食材としても名を上げている。いかにも職人が長年の試行錯誤で磨き上げた代物に見える。

ところが、この素材の出発点は、旅館の外に放り出された食べ残しだった。

17世紀半ば、1650年代末の冬。京都・伏見の旅館「美濃屋」が、大名の食べ残したところてんを戸外に捨てた。ところてんは寒天の原型で、テングサなどの煮汁を固めて細長くしたもの。奈良時代に中国から製法が伝わり、日本で広く食べられていた。つまり、ここで捨てられたのは、当時としてはごくありふれた食べ物の残りである。

その夜、伏見の寒さがところてんを凍らせた。中の水分は氷となって抜け、残ったのは干物のようにカラカラになった塊だった。美濃屋の主人がこれを煮溶かしてみると、驚くことが起きる。元のところてんより海藻の匂いが少なく、透明度がはるかに高いものができたのだ。捨てたものが、元の品より上等になって戻ってきた。

この偶然が製法として定着する。18世紀初頭に編まれた『和漢三才図会』のところてんの項には「城州伏見の里にて之製す」とある。江戸時代の初めには伏見が主な産地だったことがうかがえる。寒天という名も、1654年に来日した中国の高僧・隠元禅師が付けたとされる。冬空を指す漢語に「寒ざらしのところてん」の意味を重ねた命名だ。食べ残しから生まれた副産物に、ずいぶん風格のある名前が与えられた。

ただし、この話は伝承として語られてきたもので、島津家をもてなした際の出来事だとする説もある。2020年には有志の手で、伏見区御駕籠町に「寒天発祥之地」の碑が建てられた。

今、寒天の生産量トップは海のない長野県だ。2023年の出荷額は全国一位で、国内シェアの6割を超える。諏訪の行商人が丹波の製造技術を持ち帰ったのは1840年頃。冬の冷え込みと乾いた晴天、豊富な山の水が、寒天づくりに向いていた。製法は今も自然任せのままで、切った寒天を屋外に並べ、夜に凍らせ昼に少し溶かす。これを2週間ほど繰り返すと真っ白に乾き上がる。伏見で起きた一夜の偶然を、産業規模で再現し続けているわけだ。

ちなみに、その天然のフリーズドライには厳しい条件がある。寒天が凍るのは夜間の気温がマイナス6度以下。近年は昔ほど冷え込まず春も早いため、棒寒天を作れる期間は1カ月ほど短くなったという。自然任せの製法ゆえ、温暖化の影響を真正面から受けている。

## 出典

- [寒天は、旅館の主人が捨てたところてんが凍って生まれた](https://gogen-yurai.jp/kanten/) — "寒天の製法は、17世紀の中頃、京都伏見にある旅館の美濃屋太左衛門が、ところてんを寒い屋外に放置してしまったことから偶然に発見されたもの"
- [日本生まれの健康食材「寒天」── 長野・諏訪地方に200年続く伝統産業の今](https://www.nippon.com/ja/japan-topics/g02494/) — "ここで食べ残したところてんを戸外に捨てたところ、夜のうちに凍って水分が抜け、干物のようになった。"(major)
- [寒天発祥之地 - 発祥の地コレクション](https://840.gnpp.jp/kanten/) — "江戸時代前期1658年（万治元年頃）、現在の御駕籠町にあった旅館 美濃屋太郎左衛門で参勤交代の途中に立ち寄った島津家をもてなすための心太《ところてん》が屋外に置き忘れられて凍り、乾燥して偶然生まれたと考えられている。"(web)

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