ライバル銀行、実は同じ親会社だった
北アイルランドの中心都市ベルファストには、かつて自前の紙幣を発行する銀行がいくつも存在していた。中でも街の顔として知られていたのが「ベルファスト銀行」と「ノーザン銀行」の二行で、店舗の看板も紙幣のデザインもまったく別々、支店の立地や顧客獲得を巡って火花を散らしており、街の人々の目には「昔からの犬猿の仲」を続けている地元の別会社同士として映っていた。
ところが、この二つの銀行、実は同じ持ち主の子会社だった。舞台裏をたどると、ベルファスト銀行は1827年にバット商会とテナント商会の合併によって生まれた老舗の地方銀行だったが、1917年、ロンドンの大手「ロンドン・シティ・アンド・ミッドランド銀行」に買収されている。そしてライバルであるはずのノーザン銀行もまた、同じミッドランド銀行の傘下に入っていた。つまり店頭で紙幣の発行量や支店網の広さを競い合っていた二行は、ロンドンの一枚の株主名簿の上ではとうに同じ会社の一部だったのである。
なぜミッドランド銀行は、傘下に収めたはずのライバル関係をそのまま放置したのか。当時の英国では、地方色の強い銀行が自前の紙幣とブランドを保ち続けることが、地域の顧客からの信頼をつなぎとめる重要な手段だった。もし買収直後に看板を一つに統一してしまえば、「ロンドン資本に飲み込まれた銀行」という印象を持たれ、長年通ってきた顧客が離れてしまう恐れがある。北アイルランドでは今も地方の銀行がそれぞれ独自デザインの紙幣を発行できる仕組みが続いており、紙幣の柄そのものが地元での信用や愛着を測るものさしのような役割を果たしていた。ロンドンの本社からすれば、看板を急いで統一して顧客離れを招くより、二つのブランドを競わせたまま利益だけを吸い上げるほうが得策だったのである。
そこでミッドランド銀行は半世紀近くにわたり、二つの子会社を独立した競合ブランドのまま並走させ続けた。窓口では互いにキャンペーンを競い、紙幣のデザインもロゴも別々のまま発行され続けたが、経営の実権も利益もすべて同じロンドンの本社に吸い上げられている、という体制が長く続いたのである。街の人々はもちろん、両行の窓口で働く行員でさえ、その資本関係を意識する機会はほとんどなかったと言われている。この二重構造がついに解消されたのは1970年のことだった。北アイルランドの銀行業界全体で経営の合理化が進むなか、ミッドランド銀行はついに経営統合に踏み切り、ベルファスト銀行とノーザン銀行を一つの銀行として正式に合併させた。表向きは「長年のライバル同士がついに手を結んだ歴史的統合」として報じられたが、実態は同じ親会社の内部でようやく看板を一本化しただけの出来事だったわけである。
統合先である「ノーザン銀行」という名前も、今の北アイルランドの街角ではもう見かけない。2000年代に入って親会社が北欧デンマークの銀行グループへと変わったのをきっかけに、名称は「ダンスケ銀行」へと改められている。紙幣のデザインを競い合っていたはずのライバル同士が実は同じ会社の子会社だったように、街に掲げられた企業の看板というものは、必ずしもその裏にある資本関係をそのまま映し出しているわけではないのかもしれない。
出典
独立した出典 3件- 1970年: The Belfast Banking Company, which issued banknotes in Northern Ireland, merged with its rival Northern Bank.en.wikipedia.org
- 一次Belfast Banking Company (Limited) – British Banking History Societybanking-history.org.uk
- 一般50 Years On - Black Ties or Red Carnations – The Belfast Bank & Northern Bank Merger - History Hub Ulsterhistoryhubulster.co.uk