フランスには死後婚がある——ダム決壊事故から生まれた法律
結婚式の主役の片方がすでに亡くなっている——そんな婚姻が、フランスでは今も法律上認められています。しかもその制度の始まりは、あるダムの決壊事故にまでさかのぼります。
1959年12月、フランス南部で起きたマルパッセダムの決壊事故は、下流の町を濁流が襲う大惨事となりました。この事故で亡くなった犠牲者の中に、妊娠中の女性の婚約者がいました。婚約者を失った女性の窮状が世に知られると世論が大きく動き、当時の大統領シャルル・ド・ゴールの計らいもあって、この女性が亡くなった婚約者と正式に結婚できるよう特別に取り計らわれたとされています。この一件をきっかけに、フランスでは民間人にも死後婚を認める慣行が生まれ、同年のうちに正式な法律として制定されました。一つの悲劇的な事故が、国の婚姻制度そのものを書き換えてしまったわけです。
現在この制度はフランス民法第171条に基づいており、単なる例外的な救済措置ではなく明文化された正式な手続きとして存在します。ただし誰でも自由に死後婚を届け出られるわけではなく、大統領が「重大な理由がある」と個別に認めた場合にのみ許可される仕組みになっています。婚姻が認められた場合、その効力は相手が死亡する前日にさかのぼって発生したものとみなされますが、財産の相続権までは発生しないという制限も設けられており、感情面の救済と財産関係の混乱回避を両立させる設計になっています。惨事から生まれた例外的な救済策が、半世紀以上を経た今も生きた制度として運用され続けているのは驚くべきことです。
現在でもフランスでは年間数十件程度、この死後婚の許可申請が行われているとされ、交通事故や病気で結婚直前に亡くなったパートナーとの婚姻を望む遺族からの申請が主な内容だと言われています。これは単なる歴史上の逸話ではなく、悲劇から生まれた制度が現代の家族のかたちにまで影響を与え続けている、非常に珍しい生きた法制度の例です。
申請が認められた場合、生存している側の配偶者は戸籍上「未亡人」「やもめ」としての法的地位を得ることになり、これによって遺族年金の受給資格や社会的な扱いが変わるケースもあると紹介されています。単なる感情的な儀式にとどまらず、法律上の身分関係として実務上の効果を伴う点が、この制度を単なる美談以上のものにしています。悲劇の記憶を制度として残すという発想は、フランス法特有の合理性と情緒のバランス感覚を象徴しているようにも見えます。
死後婚は世界各地に存在はしていますが、法制度として正式に認めている国は世界的にも非常に少なく、フランスはその数少ない例のひとつとして挙げられます。多くの国では婚姻は生存する両当事者の意思表示が必須の要件とされているため、フランスのこの制度は比較法の分野でもたびたび特殊事例として紹介され、「法律は感情に何をどこまで譲歩できるか」を考えさせる象徴的なケースになっています。