配信: 2026-07-08 18:00(JST)
夕刊
第11号

トマトは植物学的には果物、でも法律上は「野菜」――最高裁のひと言判決

チナミニチンチラが読み上げます(4分41秒)

スーパーの野菜売り場に当たり前のように並ぶトマト。多くの人はそれを疑いなく「野菜」だと思っている。だが植物学の定義に厳密に従うなら、トマトは果物である。花が咲いたあとにできる、種を包む子房が発達した部分――それが「果実」の条件であり、トマトは見事にそれを満たしている。実はキュウリもカボチャもマメも、植物学的にはすべて同じ仲間に分類される。つまり「野菜」という言葉自体、そもそも植物学の分類名ではなく、料理や食卓での扱われ方を指す生活用語にすぎない。

ところが1893年、この植物学上の常識に真っ向から挑む裁判がアメリカで起きた。舞台はニューヨークの税関である。当時のアメリカの関税法では、輸入される「野菜」には10パーセントの関税が課される一方、「果物」には課税されない仕組みになっていた。西インド諸島からトマトを輸入していた業者ジョン・ニックスは、この関税を不服とし、「トマトは植物学的に果物であり、非課税に分類されるべきだ」として税関側を訴えた。関税法の条文には、野菜には「10パーセント従価税」を課す旨が明記されており、果物はその対象から外れていたからだ。

連邦最高裁まで争われたこの事件で、判事たちはひとつの明快な判断を下す。トマトが植物学的には果実であり、キュウリやカボチャ、マメと同じ「蔓になる実」であることをはっきり認めながらも、法律上の分類はそこに従うべきではないとしたのだ。判決文はこう述べている。人々はトマトを、リンゴやオレンジのように食後のデザートとして食べているのではなく、スープや魚、肉と共に食事の一部として食べている、と。家庭菜園で育てられ、食卓では主菜側に供される――その生活実感こそが基準であり、植物学上の正しさよりも優先されるべきだ、という結論だった。科学的な事実と、法律が採用すべき「普通の意味」は必ずしも一致しないと最高裁自らが認めた形である。

この判決は現在も有効な判例として、アメリカの法律の教科書に載り続けている。関税分類というごく地味な行政上の争いが、「そもそも野菜とは何か」という定義論にまで発展し、最高裁が「科学的な分類ではなく、日常の食卓での扱われ方を採用する」と正面から言い切った点がおもしろい。法学部の授業では今も、法律の言葉は必ずしも学術的な定義ではなく、一般の人々が日常でどう使っているかで解釈すべきだという「通常の意味」の原則を説明する定番の事例として扱われている。しかも判事たちは判決の中で、キュウリやカボチャ、豆といった他の「植物学的には果実」の野菜たちにもわざわざ言及し、トマトだけが特別扱いされたわけではないことまで丁寧に書き添えている。植物としての分類と、食品や税法上の分類は必ずしも一致しない。私たちはその事実を、意識しないまま毎日の食卓ですでに体験しているというわけだ。

ちなみに、

この130年以上前の判決は今も現役の法的根拠として引用され続けており、2005年にはニュージャージー州議会で、トマトを「州の公式野菜」に指定する法案の裏づけとして、この最高裁判決がそのまま引き合いに出されたことがある。植物学の正しさより食習慣を選んだ古い判決が、今なお州のアイデンティティを決める議論の材料に使われているというのも、なんとも奇妙な話である。