イルカは仲間を「名前」で呼び合い、呼ばれたら返事をする
動物の鳴き声というと、縄張りを主張したり、仲間に危険を知らせたりするための、決まりきった単純な合図だと思われがちだ。相手を「名前」で呼び、名前を呼ばれたら「はい」と返事をする――そんな個体識別込みのコミュニケーションは、言葉を持つ人間だけの特権だと考える人は多いだろう。
ところが海の中では、それによく似たやりとりが交わされている。バンドウイルカは一頭ずつ、生まれてまだ間もない時期に自分だけの口笛のパターンを作り上げる。研究者たちが「シグネチャーホイッスル」と呼ぶこの音は、いわばイルカにとっての「名前」で、生涯にわたって自分自身を示す符牒として使われ続ける。人間の赤ちゃんが親から名前を与えられるのとは逆に、イルカの子どもは自分自身の名前を自分で作り出すわけだ。
面白いのはここからだ。仲間のイルカがその口笛を真似て鳴らすと、呼ばれた本人は自分のシグネチャーホイッスルを鳴らして応じる。ナショナルジオグラフィックが伝えた実験では、研究者たちが「Joey」と呼んでいた個体に、Joey自身の口笛を録音して聞かせたところ、Joeyは同じ口笛を返してきた。まるで「うん、ここにいるよ」と答えているかのような反応だったという。名前を呼ばれて返事をする行動が確認された動物は、地球上でもごくわずかしかいない。
この現象を厳密に検証したのが、セントアンドリュース大学のキングとヤニックによる2013年の研究だ。彼らはイルカに、本人の口笛だけでなく、見知った仲間の口笛(身近な対照群)や、まったく面識のない個体の口笛(未知の対照群)も聞かせて反応を比較した。これは、イルカが単に「聞き覚えのある声」に反応しているだけなのか、それとも「自分の名前」というラベルそのものに反応しているのかを切り分けるための工夫だ。結果、自分の口笛が流れたときだけ同じ口笛を鳴らして返す行動がはっきり見られ、身近な仲間の口笛に対してこの反応が出たのはわずか2回、見知らぬ個体の口笛には一度も起きなかった。つまりイルカは「誰の声か」を漠然と聞き分けているのではなく、「自分の名前」という特定のパターンにピンポイントで反応していることになる。個体ごとに固有のラベルを覚え、呼びかけと応答という一往復の会話を成立させている点は、鳴き声を単なる感情表現や警戒信号として片付けてきた従来の動物観をひっくり返すものだ。海の中は視界が利かないことも多く、群れの仲間が散らばって泳いでいても、この「名前」さえ知っていればお互いの居場所を確かめ合える。姿が見えなくても声だけで「あなたを呼んでいる」「私はここにいる」というやり取りが成立するのは、群れで暮らす動物にとって理にかなった仕組みだと言える。
この実験で使われたのは本物の鳴き声の録音だけではない。研究チームはコンピューターで合成した「名前」の音声も再生しており、それでもイルカは自分の名前にだけ反応した。息継ぎの癖や声質といった個体特有の「声」の情報を人工的に取り除いても反応が変わらなかったということは、イルカが認識しているのは声そのものではなく、音の並び方=名前というラベルの構造そのものだという、かなり手堅い証拠になる。