配信: 2026-07-10 07:00(JST)
朝刊
歴史第14号

ロシアの「ひげ税」、逃れるには金属トークンを常に携帯するしかなかった

チナミニチンチラが読み上げます(4分14秒)

髭を伸ばすかどうかは個人の好みの問題であり、国家がいちいち口出しする筋合いはない——現代の感覚ではそう思うのが普通だろう。ところが17世紀末のロシアでは、顔に生えた毛の量そのものに国が値札をつけていた。

1698年、西欧化を急いだ皇帝ピョートル大帝は、ロシア正教の伝統に根付いていた「髭」を標的にした課税を始めた。当時のロシアでは、髭は信仰と男らしさの証とされ、剃ることはむしろ不敬とみなされていた。しかしピョートルは西欧の宮廷の流儀にならい、国内の貴族や商人にひげを剃らせたい。そこで採られた手段が、剃らない者にだけ重税を課すというやり方だった。理屈で説得するのではなく、財布に訴えて生活習慣そのものを変えさせようとしたわけだ。

税額は身分によって細かく段階づけられていた。宮廷や軍、政府に関わる者は年60ルーブル、裕福な商人はそれを上回る年100ルーブル、それ以外の商人や町民も年60ルーブルを課された。貴族や豪商が払う100ルーブルという額に対し、農民など庶民の負担額自体はわずか1コペイカ程度と軽かったが、その代わり都市に出入りするたびに徴収される仕組みで、年に何度も財布を開かされることになった。つまり富裕層は「髭を保つ贅沢」に一度きり高額を払い、庶民は都市の門をくぐるたびに少額を払い続けるという、正反対の負担のかけ方をされていたことになる。

さらに興味深いのは、納税の証明方法である。髭税を払った者には「ひげトークン」(ロシア語でБородовой знак、通称「ひげコペイカ」)と呼ばれる金属製の証票が渡され、これを常に携帯する義務が課された。1714年頃のサンクトペテルブルクでは、この掌サイズの金属片こそが、髭を蓄えたまま街を歩く者にとって国家権力に対する唯一の防御手段だったという。役人に呼び止められたとき、財布よりも先に確認されたのは、このトークンを持っているかどうかだった。持っていなければ、税を逃れた不届き者として扱われかねない。外出のたびに鍵や財布を確認するのと同じ感覚で、まず髭の「通行手形」があるかを確かめる——そんな生活が、当時の有髭のロシア人男性には日常だったのである。

この制度は思いのほか長続きした。1698年にピョートルが始めた課税は、彼自身が世を去った後も廃止されることなく引き継がれ、エカチェリーナ1世、ピョートル2世、アンナ女帝、エリザヴェータ女帝、ピョートル3世と、その後に王座に就いた複数の皇帝・女帝の代替わりを経てもなお生き続けた。最終的に1772年、エカチェリーナ2世が正式に廃止するまで、実に74年にもわたって効力を持ち続けたことになる。始めた本人が死んでもなお、一枚の金属トークンが世代をまたいで庶民の日常を縛り続けたわけだ。

ちなみに、

このひげトークンは身分によって素材まで違っていた。貴族には銀製、庶民には銅製のものが渡されており、手にした瞬間にどの階級の人間かが一目でわかる作りだったという。