名前は審査に通らないと戸籍に登録できない国がある
子どもの名前は、親が自由に決められるもの――多くの国ではそれが当たり前の常識だ。役所に届け出さえすれば、どんな名前でも戸籍に刻まれる。
ところがアイスランドでは、そう単純にはいかない。生まれた子に付けたい名前を役所に出しても、それだけでは受理されない。「命名委員会」という公的機関が、その名前がアイスランド語の文法や伝統に合っているかどうかを審査し、合格して初めて出生登録が完了する仕組みになっているのだ。名前ひとつを決めるだけなのに、国家の審査を通さなければならない。
この委員会は1991年に設立され、以来「アイスランドで使ってよい名前」の公式リストを管理し、新しい名前をアイスランドの文化に取り入れるかどうかを判断する役目を担ってきた。審査基準は明快で、名前は属格(所有を表す格変化)の語尾を作れること、あるいは慣習としてアイスランド語に根付いていること、そしてアイスランド語の文法や綴りの規則に適応できることが求められる。アイスランド語では文中の役割によって名前自体の語尾が変化するため、その変化に耐えられない名前は文章の中でうまく機能しない、という理屈らしい。しかも届け出には期限まであり、子どもが生後6か月になるまでに名前を確定させなければならないと定められている。
この基準のせいで、外国由来の名前は思わぬ形に変えられることがある。たとえばアイスランド語のアルファベットには、そもそも「C」という文字が存在しない。そのため「C」を含む名前をそのまま登録することはできず、「K」等の他の文字への表記変更を強いられる。海外から移り住んだ人が自分のファーストネームの綴りを、母国の役所ではなく移住先の言語委員会に書き換えられてしまうわけだ。
もっと踏み込んだ衝突も起きた例がある。「そよ風」を意味するある単語を娘の名前にしようとした親がいたが、委員会はこの単語が文法上「男性名詞」として扱われることを理由に却下した。興味深いのは、この名前自体はすでに男の子の名前として承認済みだったという点だ。つまり同じ一つの単語が、男の子には使ってよく、女の子には使ってはいけないという、文法上の性別だけを根拠にした線引きがされていたことになる。この決定に納得できなかった一家は裁判に訴え、最終的に少女は自分の名前を公的に使う権利を勝ち取っている。
ただし、この種の裁判には時間がかかる。審査が通らず係争が続いている間、子どもの名前は宙に浮いたままになる。実際、前述の裁判の当事者だった少女は、名前が承認されるまでの数年間、公的書類にはただ「女の子」とだけ記され、15歳になってもなお本名が公式には存在しない状態が続いていた。名前が決まらないというだけで、戸籍上は性別の記号だけを背負って生きる子どもがいるということになる。
この委員会の裁定は国内のどの行政機関からも覆すことができないと定められており、名前に関しては事実上の最終審としての権限を持つ。たった一つの呼び名のために、国家がここまで本気で法廷闘争や制度設計を積み重ねてきたという執念こそ、この話の一番の見どころかもしれない。