石油の国バーレーンの富の源泉は、かつて「天然真珠」だった
バーレーンと聞くと、多くの人が思い浮かべるのは中東有数の産油国という姿だろう。国土の大部分を占めるのは砂漠と油田、経済の柱は石油という印象が強い国だ。
しかし、この国が石油で潤う以前、まったく別の資源が経済を支えていたことはあまり知られていない。その正体は天然真珠である。石油が発見されるよりずっと前、ペルシア湾一帯は世界有数の天然真珠の産地であり、なかでもバーレーン近海で採れる真珠は粒の美しさと品質の高さで際立って評価されていた。養殖の技術がまだ存在しなかった時代、真珠とは貝の中に偶然入り込んだ砂粒が生み出す自然の産物であり、人の手で狙って作れるものではなかった。だからこそ、安定して高品質の粒が採れるバーレーン近海は、世界中の宝飾商にとって特別な価値を持つ海だったのである。
当時の真珠採取は、酸素ボンベもウェットスーツもない時代に、ダイバーが息を止めて海底まで素潜りし、貝を一つひとつ手で拾い上げるという過酷な仕事だった。真珠採取のシーズンには、何百艘もの木造帆船が湾に繰り出し、ダイバーたちは腰に重りをつけて一気に海底へ沈み、せいぜい1分ほど息を止めて貝を集めては浮上する。それを日に何十回も繰り返す。それでも真珠は海の宝石として世界中の富裕層から求められ続け、バーレーンにとっては国全体を支える基幹産業へと成長していった。その収入が国の経済そのものを動かしていたのである。
ところが、この繁栄は長くは続かなかった。転機となったのは、日本発の技術革新だった。1930年代、日本の真珠養殖業が飛躍的に発展し、貝に核を入れて人工的に真珠を作り出す養殖真珠が世界市場に大量に供給されるようになった。天然真珠と遜色ない品質の真珠を、はるかに安定した価格と量で手に入れられるようになったのだから、命がけで貝を集める天然真珠採取業への打撃は計り知れなかった。さらに追い打ちをかけたのが、同時期に発生した世界恐慌である。世界的な不況によって高級品である真珠そのものを買う余裕のある富裕層自体が減り、バーレーンの真珠採取業は供給側の技術革新と需要側の消費不況という二重の逆風に同時にさらされることになった。この結果、1930年代以降、かつて国を支えた基幹産業は急速な衰退の一途をたどっていく。
皮肉なことに、この衰退はバーレーンをまったく別の道へと押し出すことになった。真珠という収入源を失いつつあった国が、ちょうどこの時期に石油を発見し、産油国としての新たな歴史を歩み始めるのである。海の恵みで栄えた国が、地下の恵みで再び栄える。バーレーンの経済史は、ひとつの資源の終わりがもうひとつの資源の始まりと重なった、稀有な転換の物語だといえる。
真珠採取業が最後の輝きを見せていた1930年末の時点で、バーレーンには約3万人もの真珠ダイバーがいたと記録されている。当時の人口規模を考えれば、街を歩く男性のかなりの割合が、海に潜って生計を立てていた計算になる。かつてのバーレーンは、現在の高層ビルが立ち並ぶ風景からは全く想像できない様子だったのであろう。