サケを「怪しい状況で」持っているだけで、それ自体が犯罪になる国がある
魚を密漁した人が罰せられるのは当然だ、と誰もが思うだろう。密漁という「行為」そのものを摘発し、証拠を積み上げて有罪に持ち込む――それが普通の法執行のイメージのはずだ。
ところがイギリスには、密漁そのものを立証しなくても罰せられる法律がある。Salmon Act 1986(サケ法1986)第32条だ。条文の見出しはそのままずばり「Handling salmon in suspicious circumstances(サケを怪しい状況で扱うこと)」。中身を要約すると、そのサケが違法に獲られたものだと知っていた、あるいは合理的に知り得た状況でサケを受け取ったり処分したりした者は、それだけで独立した犯罪になる、というものだ。密漁犯そのものを捕まえるのではなく、「怪しいサケを持っていた人」を罰することができる仕組みになっている。
なぜこんな法律があるのか。サケの密漁は、川や海の現場を押さえない限り立証が難しい。しかし密漁されたサケは業者や個人の手を転々とし、最終的に食卓に並んでしまう。そこでイギリスは、流通の川下にいる買い取った業者や個人を狙い撃ちできるようにした。これにより、証拠が薄い密漁の立証を経由せずに、怪しいサケの受け渡しそのものを取り締まれる。密漁の瞬間を見ていなくても、「なぜそのサケを持っているのか説明できない」という一点で立件できてしまうわけだ。
実務上は、この規定はかなり広い網を掛けている。イギリスの環境庁が公表しているガイドラインによれば、対象になる行為は「受け取る」だけでなく、「保持する」「持ち出す」「処分する」までを含む。しかもその判断基準は「合理的に見て違反があったと疑うに足りるかどうか」という客観的なものであり、本人が「知らなかった」と言い張っても、状況から見て疑うのが当然だと判断されれば有罪になり得る。つまり密漁の実行犯を追い詰めるのではなく、サケが誰の手に渡ってもその都度「なぜ持っているのか」を説明できない人物を拾い上げる、網の目の細かい仕組みになっているわけだ。
罰則も軽くない。略式起訴なら禁錮最長3ヶ月または法定上限額の罰金、正式起訴になれば禁錮最長2年または罰金という重さになる。しかも過去の遺物ではなく、現在も有効な現行法である。
実際に適用された例もある。ウェールズの自然資源当局が報告した事件では、ある男性が袖の中にサケを隠し持っていたところを発見され、この「怪しい状況でのサケの取り扱い」の容疑で摘発された。密漁の現場そのものを押さえたわけではなく、シャツの袖から不自然にサケがのぞいているという状況そのものが立件の決め手になり、最終的に高額の罰金が科された。密漁犯を追いかけるのではなく、怪しい状況を突き止めれば足りる――まさに条文が想定した通りの使われ方といえる。
この摘発を報じたNatural Resources Wales自身の公式記事は、根拠法を「The Salmon Act 1968」と表記していた。実在するのは1986年制定のSalmon Act 1986であり、1968年という名の法律は存在しない。サケを取り締まる側の役所ですら正式名称をうっかり書き間違えるほど、地味でマイナーな条文だということかもしれない。
出典
独立した出典 4件- イギリスには「サケを怪しい状況で扱うと犯罪」という法律があるen.wikipedia.org
- 一次Salmon Act 1986, Section 32 (as enacted) — legislation.gov.uklegislation.gov.uk
- 一次Fisheries offences — Environment Agency offence response options (GOV.UK)gov.uk
- 一次Hefty fine for man caught with salmon up his sleeve — Natural Resources Walesnaturalresources.wales