アイスランドは強い蒸留酒は解禁したのに、ビールだけ74年間禁止していた
多くの国では、蒸留酒のほうが「危険な酒」というイメージを持たれやすい。ウォッカやウイスキーは度数が40度前後あり、悪酔いや依存のリスクが高いと見なされがちだ。一方でビールは度数が低く、居酒屋での最初の一杯として気軽に頼まれる「入門編の酒」として扱われることが多い。規制するなら、まず強い酒からのはずだと誰もが思うだろう。
ところがアイスランドでは、この常識がまるごとひっくり返っていた。同国は1915年に酒類を全面禁止したあと、1922年にワインを解禁し、1935年には蒸留酒までも解禁している。つまりウォッカもジンもウイスキーも、20世紀前半のうちに合法になった。それなのにビールだけは、なんと1989年まで禁止され続けたのだ。度数の強い酒は許され、ビールだけが許されないという逆転現象が、まる74年間も続いたことになる。
なぜこんな不自然な線引きが起きたのか。理由は度数ではなく「安さ」だった。1935年に蒸留酒の解禁を問う投票が行われた際、ビールだけはあえて対象から外された。これは禁酒運動側の意向をくんだ措置だったとされている。彼らの言い分はこうだ。ビールは蒸留酒より値段が安く、誰でも手を出しやすい。だからこそ、より堕落を招く危険な酒だ、と。度数の高さではなく、財布への優しさのほうが「危険度」の判定基準にされたのである。
この論理は裏を返せば、「ビールこそが蒸留酒への入り口になる」という発想でもあった。実際、当時の議論ではビールが、より強い酒へ若者を導く「ゲートウェイドラッグ」だと見なされていたことが記録されている。度数が低いからこそ心理的なハードルが下がり、気軽に飲み始めた人がやがて強い酒に流れていく——そんな筋書きが恐れられたのだ。結果として、ワインや蒸留酒を飲める大人は増えても、居酒屋で気軽な一杯のビールを頼む自由だけは、20世紀の終わりまで与えられなかった。
当時のアイスランドでは、ワインや蒸留酒はもともと富裕層や特別な席で嗜まれる酒というイメージが強く、日常的に何杯も飲むような存在ではなかった。対してビールは、仕事帰りに気軽に一杯だけ、という飲み方がイメージしやすい酒だ。皮肉なことに、この「気軽さ」こそが禁酒運動側にとって最大の警戒材料になったのだ。特別な日にしか飲まない酒より、毎日でも飲めてしまう酒のほうが、生活に深く入り込み、依存や乱用の裾野を広げる——そう恐れられたのだとすれば、規制の矛先が度数ではなく飲用習慣そのものに向いていたことも頷ける。
だが、冷静に考えると奇妙な話だ。度数40度のウォッカを堂々と飲める国で、度数5%前後のビールだけが「危険物」扱いされていたのだから。しかもその理由が、アルコール度数とはまったく無関係な「安いから若者に人気が出て困る」という社会的な理由だった点が興味深い。禁止と解禁の順番がねじれた74年間は、規制が単純な物差しだけでは決まらないことを教えてくれる。考えてみれば、「安いから危険」という理屈を突き詰めれば、今日でも同じ発想で規制の対象を選び直すことは十分にありうる。分かりやすい物差しに頼らず、誰にとって手が届きやすいかという観点からルールを見直すと、アイスランドの74年間は決して過去の奇談では終わらない教訓を持っている。
実際に禁止されていたのは正確には「度数2.25%を超える」ビールだけで、それ以下の低アルコールビールはすでに合法だった。つまり物理的には薄いビールもどきなら買えたのに、まともな強さの一杯にありつくには、あと54年も待たなければならなかったことになる。