「鶏とは何か」を大真面目に争った裁判
「鶏肉を注文する」という行為に、解釈の余地なんてあるだろうか。スーパーでもレストランでも、「chicken」と書いてあれば誰もが同じものを思い浮かべる。少なくとも、そう思って疑わない人がほとんどだろう。
ところが1960年、ニューヨークの連邦地方裁判所は、まさにこの「chickenとは何か」という一点だけを、大の大人が何か月もかけて大真面目に争う羽目になった。原告はスイス系の食品輸入業者フリガリメント社、被告はアメリカの輸出業者BNSインターナショナル社。争いの発端は契約書のたった一単語だった。
フリガリメント社は唐揚げやグリルにする若鶏のつもりで「chicken」を発注した。ところが届いた荷の一部は、硬くて煮込み料理向きの老鶏だった。輸入業者側は「これはchickenじゃない、詐欺だ」と主張し、輸出業者側は「老鶏だってchickenの一種だ、契約違反はしていない」と一歩も譲らなかった。両者とも自分の常識を信じて疑わなかったからこそ、話し合いでは決着がつかず、裁判所に持ち込まれることになった。
裁判を担当したヘンリー・フレンドリー判事は、この訴えを茶化すことなく、驚くほど本格的に取り組んだ。まず日常語としての「chicken」の意味を国語辞典で確認し、次に食肉業界における取引慣行、さらには米国農務省による家禽の等級規定まで持ち出して、法廷は本気で「鶏の定義」を検討し続けた。その結果たどり着いた結論は、身も蓋もないものだった。「chicken」という単語は、日常語としても業界用語としても複数の正当な意味を持ちうる、つまり「曖昧である」というものだ。実際、「chicken」という単語を辞書で引くと、食用に飼育される比較的若い鶏という限定的な説明が載っている一方で、より広い一般名称としては年齢を問わず鶏という鳥の種そのものを指す用法も併記されている。つまり辞書そのものが、フリガリメント社の主張する「狭い意味」とBNS社の主張する「広い意味」の両方にお墨付きを与えてしまっていたのだ。これでは、どちらか一方の解釈だけが「正しい」と機械的に結論づけることはできない。判事はこの曖昧さを前提に、では契約上どちらの意味で合意されたと言えるのかを検討した。
契約の文言解釈で意味が割れている場合、それが自分の主張する狭い意味(=若鶏限定)で使われていたと示す責任は、それを主張する側にある。フリガリメント社は「chickenは若鶏を意味する」と信じて疑わなかったが、それを裏付ける確たる証拠を法廷に示すことができなかった。結果、フリガリメント社側は敗訴した。悪意で騙されたのではなく、単に「自分の常識」を証明しきれなかったという、なんとも後味の複雑な決着である。
この判決は今も英米の契約法の教材で頻繁に取り上げられる、いわゆる「定番判例」になっている。理由は単純で、「言葉の意味は自明ではない」という契約解釈の大原則を、これ以上ないほど具体的で身近な題材で示してくれるからだ。
フレンドリー判事の判決文は、法律文書らしい堅苦しい前置きを一切省き、いきなり「The issue is, what is chicken?(論点は、鶏とは何か、である)」という一文から始まる。真剣勝負の法廷闘争の結論が、この身も蓋もない一行に凝縮されているのを見ると、思わず笑ってしまう人も多いという。