世界屈指の巨大銀行は、その昔「水道会社」だった
会社の定款に「水道を引くための会社です」と書いてあれば、集めたお金は当然、水道管や貯水池に使われるはずだ——そう考えるのが普通だろう。ところが1799年にニューヨークで設立された「マンハッタン・カンパニー」は、この常識をものの半年で裏切ってみせた。しかもこの会社、二百年以上のちに世界屈指の巨大銀行グループへと姿を変えることになる。
仕掛け人は、のちに合衆国副大統領となるアーロン・バーである。彼が州議会から取り付けた特許状には、表向き「ニューヨーク市に水道を供給する」という立派な目的が掲げられていた。しかし条文の奥深くには、こんな一文がひっそり紛れ込んでいた。「会社は、ニューヨーク州および合衆国の憲法・法律に反しない限り、水道事業に不要な余剰資金をすべて、公債その他の証券の購入、あるいはその他あらゆる金融取引・運用に充ててよい」。誰も気に留めなさそうな、地味な一条項である。だがバーはこれを見逃さなかった。特許状を得てからわずか5〜6ヶ月後、取締役会は「余剰資金で銀行を開業する」ことを議決し、「バンク・オブ・ザ・マンハッタン・カンパニー」を開業した。しかも議決の時点でまだ水道管は一本も敷かれていなかったというから、優先順位の付け方が清々しいほど露骨である。
なぜこんな回り道が必要だったのか。当時のアメリカでは銀行を新設するのに州議会の特別な特許状が要り、既得権を持つ既存の銀行やその後ろ盾の政治勢力が、新規参入をなるべく増やしたくないという空気が強かった。真正面から「銀行を作らせてほしい」と申請すれば、政治的な駆け引きと審査に時間を取られ、潰される恐れすらある。ならば誰も文句を言えない公共事業——しかも当時のニューヨークにとって切実な課題だった水道整備——の看板を借りて、条文の隙間に銀行機能をこっそり仕込んでしまえばいい。バーが選んだのは、いわば法律の抜け道を突いた"銀行の密輸"だった。出資金はほとんど水道整備には回らず、この銀行はのちに幾度も合併を重ね、今日のJPモルガン・チェースへとつながる源流のひとつになっている。いま同行の口座を持つ人のうち、その出発点が水道会社を装った抜け道だったと知る人はまずいないだろう。
この会社は銀行としてまんまと稼ぎながらも、特許状そのものを失効させないために「水道会社」の看板を実に1899年まで、100年近くも下ろさなかった。毎年「水道委員会」を開いては「水道供給の申し込みを断ったことは一度もない」と報告し続け、会議の机には水質を確かめるための水差しを律儀に置いていたという。銀行の役員たちが真顔で水差しを覗き込みながら年次総会を開いていたと想像すると、なんとも味わい深い光景である。