一人の編集者が、フィッツジェラルドもヘミングウェイも世に送り出していた
世界的な名作小説は、作家の才能だけで生まれると思われがちだ。孤高の天才が机に向かい、たった一人で物語を紡ぎ上げる――多くの人がそんなイメージを抱いているのではないだろうか。
しかし20世紀アメリカ文学の黄金期を支えた傑作の少なからぬ部分には、実は同じ一人の編集者の手が入っていた。名前はマクスウェル・エヴァーツ・パーキンズ、通称マックス・パーキンズ。アメリカの書籍編集者である彼は、チャールズ・スクリブナーズ・サンズ社に36年にわたって在籍し、その間にF・スコット・フィッツジェラルド、アーネスト・ヘミングウェイ、トーマス・ウルフという、のちに20世紀アメリカ文学を代表することになる三人の作家を、まだ無名だった段階でまとめて見出し、文壇へ送り込んでいる。パーキンズは存命中から伝説的な編集者として知られ、後年になっても「アメリカ史上最高の文芸編集者」と評されることがあるほどだ。「20世紀を代表する作家」を三人も一人で世に出した編集者というのは、なかなか尋常な数字ではない。
パーキンズにとって最初の大きな発見が、1919年に契約を交わしたフィッツジェラルドだった。パーキンズは持ち込まれる原稿を待つだけの編集者ではなく、自ら有望な新人を積極的に探し歩くタイプだったとされ、当時まだ無名だった若者の才能を見抜いて署名させたことが、キャリアを動かす最初の転換点になる。そして次に彼のもとへやってきたのが、ヘミングウェイの長編第一作『日はまた昇る』で、パーキンズはこの作品を1926年に世に送り出している。さらにパーキンズが編集者人生の中でもっとも苦労させられた相手が、トーマス・ウルフだったという。ウルフの才能は誰もが認めるほど圧倒的だったが、それと同じくらい「芸術家としての自己規律の欠如」も並外れており、書き上げてくる原稿はとてつもない分量に膨れ上がった。パーキンズは何年もその大量の原稿と向き合い、一冊の小説として世に出せる形に整えていったとされる。
つまりパーキンズの仕事は、単に才能を「見つける」だけではなかった。時には作家自身にも制御しきれない奔流のような文才を、読者が読める一冊の作品へと「削り、形にする」ことでもあったわけだ。繊細な文体のフィッツジェラルド、硬質でそぎ落とされた文体のヘミングウェイ、そして奔流のように溢れ出すウルフ――まったくタイプの異なる三つの才能に、パーキンズはそれぞれ違うやり方で向き合っていたことになる。もし彼が現れなければ、この三人の代表作は今とは違う形で世に出ていたか、あるいは日の目を見なかった可能性すらある。名作の背後には、書き手だけでなく、その才能を見極め、時に大鉈を振るって仕上げた編集者の存在があった。
パーキンズがヘミングウェイと出会うきっかけを作ったのは、まさにフィッツジェラルドだった。フィッツジェラルドを介して紹介されたヘミングウェイを、パーキンズはすぐさま自分の担当作家として迎え入れた。一人の作家との縁が次の才能へとつながっていく、文学史における人のつながりの妙がここにも表れている。