配信: 2026-08-04 07:00(JST)
朝刊
文化第64号

句読点なしで自伝を書いた富豪、読者からの批判に図太く対応

チナミニチンチラが読み上げます(4分18秒)

自伝というものは、読者にきちんと伝わるよう文章を整えて書くのが当然だ、と誰もが思うだろう。句読点を正しく打ち、スペルや文法を整えてこそ、はじめて一冊の「本」として世に出せる。そう信じて疑わない人がほとんどのはずだ。

ところが18世紀アメリカに、その常識を根本からひっくり返した実業家がいた。ティモシー・デクスターである。彼はもともと皮革のなめし職人だったが、常識外れの投資を次々と的中させて巨万の富を築いた変わり者として知られる。極め付きは、炭鉱労働者がストライキ中の街ニューカッスルに、あろうことか石炭を売りつけたという逸話だ。ニューカッスルといえば英語で「無駄なことをする」を意味する慣用句「炭をニューカッスルへ運ぶ」の由来になったほどの石炭の産地であり、そんな土地へ石炭を売り込むのは常識的に考えれば自殺行為に等しい。ところが折悪くストライキで地元の石炭供給が止まっていたため、需要が急騰し、デクスターの石炭は飛ぶように売れて彼はまた資産を増やした。無謀に見える賭けが、なぜか裏目に出ない。それが彼の人生そのものだった。

そんな成功続きの富豪が満を持して世に問うた自伝が『A Pickle for the Knowing Ones』、訳すなら「知ったかぶりへの塩漬け」である。タイトルからしてすでに、批判してくる読者を挑発するような一冊だ。ここでもデクスターは持ち前の型破りぶりを存分に発揮した。綴りは滅茶苦茶、文法も無視、そして何より句読点がほとんど存在しない。ピリオドもカンマもないまま文章がひたすら続いていく、読者泣かせの代物だったのだ。

当然、初版には批判が殺到した。「知ったかぶりどもが、句読点がないと文句を言う」と後にデクスター自身がぼやいているほど、読みにくさへの苦情は相当なものだったらしい。ところが彼が選んだ解決策がまた常軌を逸していた。第2版で彼は、巻末にまるまる1ページを費やしてピリオドやカンマ、感嘆符だけをびっしりと並べた「句読点だけのページ」を新たに追加したのである。そして読者への指示はこうだ。「塩コショウのように、好きなようにふりかけて使ってくれ」。文章の意味が通るように句読点を打つという、本来は著者が担うべき作業を、丸ごと読者に委ねてしまったわけである。整えるのは書き手ではなく読み手の仕事だ、と言わんばかりの逆転の発想であり、読者は自分の好きな場所に好きなだけピリオドやカンマを差し込みながら、いわば自分だけの版を作って読むことになる。批判に謝るどころか、あえて余分に句読点を用意して突き返す図太さこそ、投資でも常に強気を貫いた彼らしいふるまいだったといえる。

ちなみに、

この悪ふざけは第2版限りでは終わらなかった。以降の版でもデクスターは律儀に同じ句読点ページを載せ続けたと伝えられている。実際、彼の死からおよそ40年以上が経った1848年版にも、「知ったかぶりどもは初版に句読点がないと文句を言うから、ここにたっぷり用意しておいた。好きに塩コショウしてくれ」という趣旨の一文がほぼそのまま残されている。批判へのふてぶてしい開き直りが、著者本人が世を去った後も出版のたびに忠実に受け継がれていたことになる。

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