配信: 2026-08-28 07:00(JST)
朝刊
地理第112号

テキサスの何もない荒野に立つ『プラダ』の店、実は一度も商品を売ったことがない

チナミニチンチラが読み上げます(4分20秒)

テキサス州の西の果て、地平線まで一直線に伸びる幹線道路をひたすら走ると、周囲には牧草地と荒れた低木以外何もない。この一帯は携帯の電波すら怪しくなるほどの僻地だ。そんな道の途中に忽然と現れるのが、ガラス張りのショーウィンドウにバッグや靴を並べた、こぎれいな一軒の店。看板には黒地に金文字で「PRADA」。まさかこんな何もない場所に高級ブランドの直営店があるはずがない——そう思いながら車を停めても、そこには確かに本物そっくりの店構えがある。高級ブランドの旗艦店といえば、東京の表参道やニューヨークの五番街など、地価も家賃も飛び抜けて高い一等地に構えるものだと相場が決まっている。ところがこの店の周囲にあるのは、地平線まで続く赤茶けた大地と、たまに通り過ぎるトラックだけだ。

結論から言うと、この店は一度も営業したことがなく、これからも絶対に営業しない。実際はベルリンを拠点とするアーティスト・デュオ、エルムグリーン&ドラッグセットが制作したインスタレーション作品「プラダ・マーファ」で、テキサス州マーファの北西、幹線道路沿いの荒野に恒久展示されている彫刻作品なのだ。この作品が設置されたのは2005年のこと。ふたりは消費社会や資本主義のあり方を皮肉る作品で知られる現代美術のデュオで、外観だけでなく内装のディテールまで実在の店舗さながらに作り込んでいる点が大きな特徴だ。扉は最初から開閉できないよう固定されており、店員もレジも存在しない。運営団体自身が「この作品が商業施設として機能することは決してない、扉は常に施錠されている」と明言している通り、どれだけ待っても中に入ることはできない仕組みになっている。

さらにおもしろいのは、ショーケースに並ぶバッグや靴が単なる張りぼてではなく、本物のプラダ製品だという点だ。しかも中身は誰かが適当に選んだわけではなく、デザイナー本人であるミウッチャ・プラダが自ら選定に関わり、2005年秋冬コレクションの中から、周囲の砂漠が持つ砂と土の色調に馴染むアイテムだけを厳選して並べたと伝えられている。つまりこの店は「偽物のブランド店」ではなく、「本物のブランド品を、本物のデザイナーが選び、絶対に売らないために並べた」という、二重にねじれた存在なのだ。ラグジュアリーブランドが体現する「手に入れたいのに手に入らない」という欲望の構造そのものを、文字通り誰も買えない荒野のど真ん中に固定してみせた作品と言えるだろう。いわばこの作品は、遠目には完璧な模造品に見えながら、中身の商品だけは本物という、極めて手の込んだ皮肉の仕掛けになっている。日に焼け、砂嵐にさらされながら、この店はただ静かにそこに立ち続けている。

ちなみに、

この作品は堂々と「マーファ」の名を掲げているが、地図で見ると実際にいちばん近い集落はマーファではない。徒歩でも行けそうな距離にあるのは、周囲にほとんど何もない小さな村バレンタインで、その中心部からはわずか2.3kmしか離れていない。看板の街までは実に40km以上あるのに、なぜか無人に近い村のすぐそばに、有名な地名を冠した幻の店だけがぽつんと立っている。

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