歴史第169号朝刊

ランドセルは、オランダの軍用品だった

チナミニチンチラが読み上げます(3分30秒)

小学生が背負う、ランドセル。あの赤や黒の箱は、もはや日本の風景そのものと言っても過言ではない。ところがこの単語、もともとは日本語ではない。オランダ語だ。

元の言葉は「ransel」。兵士が装備を詰めて背負う背嚢、つまりバックパックを指す軍隊用語である。幕末、幕府が洋式の軍隊制度を導入した際、オランダからこの背嚢が入ってきた。「ランセル」と呼ばれていたものが、日本人の口の中でなまって「ランドセル」になった、とされている。1864年の教練書『歩操新式』には「粮嚢」という字に「ラントセル」とルビが振られていて、なまりの途中経過が紙の上に残っている。

つまり、全国の小学生は毎朝、幕末の兵隊さんの装備品の名前を背負って登校していることになる。

では、軍用品がどうやって通学かばんになったのか。舞台は学習院だ。1885年、学習院は「学校では皆平等、家庭環境を教育の場に持ち込むべきではない」との理念から、馬車や人力車での登校を禁じ、学用品は使用人ではなく生徒自身が運ぶと定めた。そこで白羽の矢が立ったのが、両手が空いて持ち運びやすい軍隊用の背嚢だったというわけである。平等を実現する道具として、兵士の荷物入れが選ばれた。

ただし、この時点ではまだリュックサックに近い柔らかい形だった。現在のかっちりした箱型になったのは明治20年ごろ、幼い嘉仁親王(のちの大正天皇)の学習院入学がきっかけとされる。東京鞄商工同業組合の沿革史によれば、入学祝いとして伊藤博文が箱型の通学かばんを献上し、これが今のランドセルの原型になったという。総理大臣経験者が贈った入学祝いが、そのまま百年以上の定番デザインになってしまったのだ。素材が黒革に決まったのが明治23年、寸法まで統一された「学習院型」の完成が明治30年。基本のスタイルは、以降ほとんど変わっていない。

ちなみに、

この「箱型の始まり」には別の説もある。1912年の土方久元の談話では、幼い嘉仁親王が陸軍の練兵を視察した際、兵士が背負う背嚢を気に入って所望したのが発端で、それを学習院入学後も使い続けたのが学生への普及の嚆矢だったとされる。伊藤博文が贈ったのか、子どもが軍隊の装備をねだったのか——日本一有名な通学かばんの出自は、いまだにどちらとも決まっていない。

この話、知ってた?
押すと、みんなの初耳率が見られます