辞書にわざと載せた「存在しない単語」が、盗用犯を捕まえた
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辞書に載っている言葉は、すべて実在する。言葉が正しいかどうかを確かめるための本なのだから、当たり前の話である。
ところが、アメリカの英語辞書『New Oxford American Dictionary』の第2版は、そのイメージから大きく外れている。なんと、この世に存在しない単語が一語だけ紛れ込んでいるのだ。esquivalience(エスキヴァリエンス)。意味は、自分の職務をわざと放り出すこと。要するに職務怠慢である。誤植でも、うっかりでもない。編集部が自分の手で作り、承知のうえで載せたのだ。
では、なぜそんなことをしたのか。この辞書の本文は電子データで配布されていた。つまり、中身をまるごとコピーして自分の商品にするのが技術的にたやすい。そこで編集部は、自然には決して生まれない一語を仕込んだ。もし他社の辞書に同じ単語が載っていれば、それは丸写しの動かぬ証拠になる。「コピーライトトラップ」と呼ばれる手口である。さらに念入りなことに、この偽単語には、19世紀後半にフランス語のesquiver(かわす、こっそり逃げる)から生まれたらしい、というもっともらしい語源まで添えられていた。
そしてこの罠は、本当に作動した。2005年8月、オンライン辞書のDictionary.comに、出典の表示もないままesquivalienceが載っていたことが発覚。該当項目はその後、同サイトから削除された。編集部のマキーンによれば、これはチームが積み上げた労作をまるごとコピーするという、「職務怠慢」を働く相手を捕まえるための一語だったという。罠にかかった側は、まさに、単語の意味そのものを実演する形となった。
こうした架空項目は、他にもいくつか実例がある。1975年の『New Columbia Encyclopedia』には、噴水デザイナーから写真家に転じ、取材中の爆発事故で亡くなったリリアン・ヴァージニア・マウントウィーゼルという女性の項目が載った。彼女もまた、まるごと架空の存在である。以来、この手の罠は彼女の姓をとって「マウントウィーゼル」と呼ばれるようになった。競合の盗用を捕まえるために偽項目を置くのは、百科事典の編集者いわく、この業界の伝統なのだという。
esquivalienceのその後がふるっている。2005年に捏造だと判明した後、この単語は実際に使われ始めてしまったのだ。翌2006年には「大統領執務室のesquivalience」なる言い回しがネット上で見つかっている。罠として生まれた言葉が、いつのまにか本物の語彙になりかけているのである。事実、この項目は2010年に出た第3版にも、いまだに残っている。