花火の「たまや〜」、その玉屋は江戸を追放されて一代で消えている
音声を読み込めませんでした。少し待ってからもう一度どうぞ
花火が夜空に開いた瞬間の「たーまーやー」。あれが江戸時代の花火屋の屋号で、ライバルの「かーぎーやー」とセットだった——というあたりまでは聞いたことがある人も多いはず。問題はその先だ。今も日本中で叫ばれ続けている玉屋という店は、とっくに存在しない。しかも消え方が派手すぎる。
1843年(天保14年)、玉屋は自分の店から火を出した。火は町を巻き込む大火事になり、当主・玉屋市兵衛は責任を問われて江戸を追放される。玉屋はそのまま一代限りで廃業。火薬を商う店の失火に言い訳はきかなかった。火で江戸を沸かせた店が、火で江戸から追い出されたわけだ。
そもそも玉屋は、鍵屋で番頭を務めていた職人が暖簾分けしてもらった分家である。屋号の由来も対になっていて、鍵屋が守護神とした稲荷の狐は、一方が鍵を、もう一方が玉をくわえている。そこから名前を分けた。1810年から両国の川開きでは上流を玉屋、下流を鍵屋が受け持ち、観客は良かったほうの屋号を叫ぶ。つまりあの掛け声、もともとは投票用紙のようなものだった。しかも分家のはずの玉屋は、本家の鍵屋が「またやられた」と悔しがる姿を川柳に詠まれるほどの人気を集めている。
不思議なのはここからで、消えたほうの名前のほうが濃く残った。花火大会で飛ぶ声は今も圧倒的に「たまや」が多い。理由は諸説あり、玉屋の花火が見事すぎて記憶に焼きついたからという説のほかに、発音のしやすさを挙げる説もある。「たまや」は「あ」の音が続き、喉のどこにも力を入れずに大声が出せる。「かぎや」より遠くまで届いてしまう。180年分の優勢の正体が口の開き方だったとしたら、ずいぶん身も蓋もない話だ。
掛け声で負けたように見える鍵屋のほうは、1659年の創業から途切れずに続いている。2000年には天野安喜子が女性として初めて15代目鍵屋を襲名した。会社が残った鍵屋と、声が残った玉屋。どちらが勝ちなのかは、次の花火大会でどちらの名を叫ぶかで決めてほしい。