配信: 2026-07-26 18:00(JST)
夕刊
生き物第47号

タコのインキー、深夜にわずか15cmの排水管を伝って海に帰った

チナミニチンチラが読み上げます(4分17秒)

水族館という場所は、多くの人にとって「生き物を安全に閉じ込めて見せる場所」だ。ガラス越しに眺める魚や甲殻類は、蓋をされた水槽の中でおとなしく過ごすもの――そう信じて疑わない人がほとんどだろう。

ところが2016年、ニュージーランド・ネイピアの水族館「ナショナル・アクアリウム・オブ・ニュージーランド」で、その常識をあっさり裏切る事件が起きた。飼育されていたタコの「インキー」が、ある夜、忽然と姿を消したのだ。

翌朝出勤したスタッフが見たのは、空になった水槽と、床に点々と残されたタコの吸盤の跡だった。跡をたどっていくと、水槽から離れた場所にある排水口へとまっすぐ続いていた。本来、水槽の蓋はしっかり閉められているはずだったが、わずかな隙間が空いていたとみられている。その先にあったのは、直径わずか15センチほどの排水管。インキーはそこに自分の体をねじ込み、50メートル先の海まで一気に滑り降りて、そのまま姿を消した。そして、二度と見つかることはなかった。

なぜこんな芸当が可能だったのか。答えは、タコという生き物の体の構造そのものにある。多くの動物は骨格によって体の大きさや形が決まっているが、タコには骨が一本もない。体の中で唯一硬い部分は、口についている「カラストンビ」と呼ばれるくちばしだけだ。つまり、そのくちばしさえ通る隙間があれば、残りの体は液体のように形を変えて、いくらでも狭い場所を通り抜けられる。実際、体重数キロ程度の個体でも、くちばしのサイズさえ通れば硬貨ほどの隙間から脱出できると言われている。水槽の蓋のわずかな隙間も、15センチの排水管も、インキーにとっては障害と呼べるほどのものではなかったわけだ。

この一件は世界中で報じられ、単なる「珍事件」を超えて、タコの知能の高さを示すエピソードとして紹介されることになった。タコは無脊椎動物でありながら、道具を使い、迷路を解き、飼育員の顔を覚えるなど、複雑な学習能力を持つことが知られている。水族館や研究施設では、タコが特定の飼育員だけを見分けて水を吹きかける、瓶の蓋を内側から開けて外に出る、といった行動も報告されている。夜間、誰にも邪魔されないタイミングを選んで水槽を抜け出し、床を這い、迷うことなく排水口という「海への近道」を見つけ出したインキーの行動は、単なる反射的な逃走というより、状況を把握したうえでの計画的な行動だったのではないかとさえ言われている。

水族館側は落胆しつつも、インキーの脱走そのものを責めなかった。もともと海に囲まれた土地に生きていた生き物が、本来の生息地である海へと戻っていっただけなのだから、と受け止めたという。

ちなみに、

タコの体がここまで自由自在なのは、骨がないことだけが理由ではない。皮膚の下には無数の筋肉繊維が縦横無尽に走り、脳とは別に八本の腕それぞれにも神経が集中していて、各腕がほぼ独立して動くことができる。だからこそインキーは、狭い排水管の中でも体をよじりながら迷うことなく、海への一本道を最後まで進み切ることができたと考えられている。

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