日本中の標高の基準、震災で24ミリ沈んだ
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標高とは、海面からの高さのことである。山の高さも、土地の高さも、日本ではこの一つのものさしで表される。では、その基準になる海面は、どこの海で測ったものなのか。
答えは海にはない。東京・永田町、国会議事堂の前に広がる庭園の一角に、石造りの小さな建物が建っている。その内部の正面、菊の紋をあしらった黒い蓋の下にあるものこそが、日本中の高さの出発点だ。名を「日本水準原点」という。1891年に設置され、その高さは標高24.5000メートルと定められた。全国に散らばる水準点は、すべてこの一点から測り継がれて高さを与えられている。
ところが、このものさしは不変ではない。2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震で、原点そのものが24ミリ沈んだのである。土地が動いた以上、24.5000メートルという数字はもう正しくない。そこで国は同じ年の10月、測量法施行令を改正する政令を公布し、原点数値を24.3900メートルへ書き換えた。地殻変動によって位置が移動した原点数値を、正確な値に改める必要がある——それが改正の理由だった。日本中の高さの基準が、政令の施行日をもって更新されたのだ。
書き換えられたのは、これが初めてではない。1923年の関東大震災でも地殻変動が生じ、再測量を経て当初の24.5000メートルは24.4140メートルに改定されている。設置から120年あまりのあいだに、日本の高さのゼロ点は大地震のたびに下方修正されてきたのである。
では、そもそも最初の24.5000メートルはどう決まったのか。基準となる東京湾平均海面は、1873年6月から1879年12月まで、隅田川の河口にあった霊岸島の量水標で毎日の満潮と干潮を記録し、その平均から算出されたものだ。明治初期に6年半かけて測った潮の高さが、長い間標高ゼロとして使用されていたのである。
原点を据えた場所にも配慮がある。標庫は古くからの台地の上にあり、その基礎は地下10メートル余りの安定した地層から築かれている。地盤沈下で狂う心配はないとされてきたが、プレートが動く規模の大地震には敵わなかった。
沖縄の山の標高は、この永田町の原点を基準にしていない。本土から遠く離れた離島は水準測量で原点とつなぐことが難しいため、その島の周りで測った平均海面がゼロになる。沖縄本島の高さの基準は、中城湾の平均海面である。