ケチャップは、かつて万能薬として薬局で売られていた
トマトケチャップといえば、フライドポテトやハンバーガーに欠かせない万能調味料というのが今の常識だろう。甘みと酸味、そして旨味が絶妙に効いたこの赤いソースを見て、体調を整える薬だと思う人はまずいない。
ところが19世紀のアメリカでは、このケチャップが本物の医薬品として薬局の棚に並んでいた時代がある。しかも単なる健康食品的な扱いではなく、消化不良から黄疸まで、ありとあらゆる病気に効くと堂々と宣伝されていたのだから驚きだ。
仕掛け人は1834年、オハイオ州の医師ジョン・クック・ベネットである。彼はトマトに含まれる成分が消化を助け、肝臓の不調にも効くと主張し、ケチャップをとろとろになるまで煮詰めて加工し、「トマト・ピル」という名の錠剤にして売り出した。当時のアメリカでは正規の医学教育を受けていない「クアック(いかさま医者)」が独自の万能薬を売り歩くのが珍しくなく、ベネットの主張もそうした流れの一つだった。しかし彼の肩書きと、当時まだ目新しかったトマトという食材の物珍しさが相まって、トマト・ピルは瞬く間に評判を呼んだ。
こうして1830年代から1850年頃にかけて、アメリカ各地の薬局でトマト・ピルが飛ぶように売れる一大ブームが起きる。競合の製薬業者も次々と類似品を売り出し、パッケージには誇大な効能書きが躍った。だが人気が過熱するほど、粗悪な模造品も市場に溢れていく。1840年頃から医学関係者の間で「そもそもあのピルにトマトなど入っていないのではないか」という疑惑がささやかれ始めた。
実際にその後の調査で、多くのトマト・ピルには肝心のトマト成分がまったく含まれていないことが判明する。中身にトマトはおろか、まともな有効成分すら入っていない粗悪な代物も少なくなかったという。1869年にはアメリカ医師会が主催した討論会で、複数の医師がトマトの薬効そのものを正面から否定し、トマト・ピルの実態を厳しく批判した。効果が事実無根だったことと模造品の粗製乱造という二重のスキャンダルによって、あれほど熱狂したブームは急速にしぼんでいった。医学の専門家がこぞって疑義を唱えたことで、それまで熱狂していた一般消費者の間にも急速に不信感が広がっていったのである。
皮肉なことに、ブームが去った後もトマト自体への抵抗感は消えなかった。しかし人々は「薬」としてではなく「食材」としてトマトを受け入れるようになり、煮詰めたトマトソースは家庭の食卓やケチャップという調味料の形で生き残った。万能薬としては失格の烙印を押されたトマトが、徐々に台所の主役として復権していったわけである。こうして、体に効く「薬」としてではなく、味を楽しむ「調味料」としてのポジションを確立したことで、トマトは医学的な効能を証明する必要から解放され、かえって長く愛される存在になったとも言える。
見方を変えれば、これは現代の「スーパーフード」ブームの元祖のような現象だったとも言える。特定の食品に着目し、体によいとする触れ込みが独り歩きし、加工商品として消費者に届けられ、後になって誇大宣伝だったと判明する——この構図は21世紀のダイエットサプリや健康食品ブームとも重なる部分が多い。
当時の宣伝文句の中には、トマト・ピルが下痢を治す薬としても効能を謳っていたものがあった。今のケチャップに置き換えれば、腹を下した時にケチャップを一さじ、という笑ってしまうような話である。