議会でナイフ決闘をした議長への驚きの判決
議会での怒号や野次、机を叩く小競り合いなら、世界中のニュース映像で見たことがある人も多いだろう。殴り合い程度なら「議会あるある」として笑って済まされる国や時代もあるらしい。それでも、乱闘の末に議員が命を落とすところまでは、さすがに聞いたことがない人がほとんどだろう。だが、それが「殺人事件」にまで発展したケースとなると話は別だ。しかも手を下したのが、その日議場を取り仕切っていた議長本人だったとしたら、もはや笑い話では済まされない。
1837年、アメリカ・アーカンソー州議会でまさにこれが起きた。議長を務めていたジョン・ウィルソンは、開会中の議場で同僚議員ジョセフ・J・アンソニーと対立し、ナイフでの決闘の末に相手を刺殺してしまう。当時のアーカンソーはまだ開拓時代の空気を色濃く残す地域で、名誉をめぐる争いをボウイナイフで決着させる文化が男たちの間に根付いていた。とはいえ、それが議事進行中の議場という公の舞台で、しかも進行役である議長自身によって実行されたとなれば話は別で、単なる乱闘の延長では片づけられない事件だった。
驚くのはここからだ。殺人容疑で裁判にかけられたウィルソンだったが、陪審が下した評決は「excusable homicide(正当化しうる殺人)」というもので、これは実質的な無罪判決に等しかった。相手が先に襲いかかってきた、という主張が認められた形だ。当時のアメリカ南部では、名誉を守るための決闘や、正面から挑まれた戦いで相手を殺すことは、必ずしも通常の殺人と同列には扱われなかった。とはいえ、議会の側は司法の判断をそのまま受け入れるわけにはいかなかったのだろう。裁判の結果とは切り離す形で、州議会は1837年12月5日、ウィルソンを議員から除名する決議を可決した。刑事責任は問われなくとも、議場で人を殺した人物を議席に置いておくわけにはいかない、という議会としての面目を保つための判断だったようだ。
ところが話はこれで終わらない。除名されたウィルソンは政治の世界から姿を消すことはなかった。彼は活動の拠点を隣接するパイク郡へと移し、そこから改めて議員選挙に打って出る。そして1840年、かつて自分を追放したのと同じアーカンソー州議会に、まんまと議席を取り戻してしまうのである。かつての選挙区の有権者はともかく、パイク郡の有権者たちは、議場で同僚を刺し殺した過去を持つ男だと承知のうえで、彼を自分たちの代表として議事堂へ送り返したことになる。裁判所も議会も一度は退けたはずの男が、有権者という最後の審判ではあっさりと信任を取り戻してしまったわけだ。決闘で人を殺すことが必ずしも政治生命の「終わり」を意味しなかった当時の南部フロンティアの空気が、この一件からは色濃く透けて見える。
開拓時代の空気が残っていたとはいえ、アメリカの州議会の歴史全体を振り返っても「開会中の議場で議長が同僚議員を刺殺した」という記録が残っているのは、このジョン・ウィルソンの一件だけだとされている。