世界一のコーヒー大国ブラジル、その始まりは花束に隠された密輸だった
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ブラジルと聞いて、まず何を思い浮かべるだろうか。——おおむね、サッカーとカーニバル、そしてコーヒーではないだろうか。実際、この国はいま世界のコーヒーのおよそ3分の1を生産する、文字どおり世界一のコーヒー大国である。
ところが、そのコーヒーはもともとブラジルに生えていた植物ではない。アメリカ大陸に自生していなかったコーヒーは、ある外交官の手によって外から持ち込まれたのだ。
1727年、ポルトガル人の中佐フランシスコ・デ・メロ・パリェッタは、国境紛争の調停という真面目な外交任務で隣の仏領ギアナに派遣されている。当時のコーヒーは、ヨーロッパ列強が互いにスパイを送り合って苗を盗むほどの戦略物資だった。ギアナの総督は種の国外持ち出しを頑として認めない。正攻法では手に入らない。そこでパリェッタが目をつけたのは、総督の妻だった。
伝説の伝えるところでは、パリェッタは彼女を口説き落とすことに成功する。そして帰国前夜の晩餐会で、彼女は別れの贈り物として美しい花束を彼に手渡した。その花束には、コーヒーの苗が忍ばせてあったという。国境交渉に来た将校が、色恋の見返りに、花束というラッピングで戦略物資を国外に持ち出したのだ。
パリェッタはその種をブラジルのパラーに植え、コーヒーを育てた。1770年にはリオデジャネイロまで広がり、1840年代には世界最大の生産国となる。1920年代には世界のコーヒーの80%を供給する、ほぼ独占状態にまで達した。ひとつの花束から始まったことになっている産業が、国の経済そのものを塗り替えたのである。
ただし、この話には諸説あり、出典も一貫して「伝説によれば」と断りを入れている。パリェッタが1727年にパラーで最初のコーヒーの木を植えたことは記録されているが、口説きと花束の部分は、あくまで言い伝えにすぎない。
この手の武勇伝が残っているのは、当人たちが自分で語り広めた面がある。同じ時代にフランス領マルティニークへコーヒーを運んだフランス人将校ド・クリューも、船上で乏しい水を苗と分け合い、海賊に襲われかけ、嵐に見舞われたという航海記を自ら雑誌に書き送っている。コーヒーの拡散史がここまで劇的なのは、スパイたちが揃って自己PR上手だったからでもあるのだ。