テトリスの作者は、10年以上ほぼ一銭も受け取れなかった
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ソ連の研究所に、コンピューターの性能を測るのが仕事の男がいた。新しい機械が届くたび、どれくらい動くかを確かめる小さなプログラムを書く。アレクセイ・パジトノフは、それをゲームを作る口実にしていた。
そうして生まれたのがテトリスだ。子どもの頃に遊んだパズル「ペントミノ」——12種類の形を木箱にきっちり収める遊び——を思い出し、7種の図形を落とすゲームを作ったのだ。開発に使ったエレクトロニカ60には描画機能すらなく、ブロックはキーボードの文字で描くしかなかった。それでも彼は、仕事中に忙しいふりをして遊び続けてしまうほどハマった。
ここまでなら億万長者のゲームクリエイター誕生物語である。ところがパジトノフは、このゲームで10年以上、ドルもルーブルも受け取っていない。
理由は、彼がソ連科学アカデミー傘下の研究所の職員だったこと。当時のソ連では、アイデアは国のものだった。個人が西側企業と直接取引すれば刑務所行きもありうる。権利の所在をめぐる混乱が起きた際、彼は「全てを円滑に進めたい」と考えて、テトリスの権利を10年分、科学アカデミーのコンピューターセンターに譲渡してしまう。
その10年のあいだに、テトリスは世界を飲み込んだ。ゲームボーイ版だけで3500万本。家庭用ゲーム機の権利をめぐって任天堂とアタリが法廷で殴り合い、敗れたアタリは製造済みのカートリッジを丸ごと無駄にした。ソフトの輸出はソ連の国営企業が仕切り、世界中で金が動いた。作った本人の取り分だけが、ゼロのままだった。
権利が彼の手に戻ったのは、譲渡の合意が失効した1995年ごろ。ソ連はすでに消滅し、彼はモスクワからシアトルへ移り住んでいた。翌1996年、ヘンク・ロジャースとともにザ・テトリス・カンパニーを設立し、ようやく自分のゲームから使用料を受け取り始める。発売から10年以上が過ぎていた。
悔しくなかったのか、と聞くと、どうもそうでもないらしい。最初は大して稼げなかったが幸せだった、いちばんの優先順位は人々が自分のゲームを楽しむのを見ることだったから——本人は後年、そう振り返っている。
「テトリス」という名前は、ギリシャ語で4を意味する「テトラ」と、彼の趣味だったテニスを掛け合わせた造語である。