哲学者ヴォルテール、国営くじの計算ミスを突いて大金持ちになった
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ヴォルテールは、18世紀フランスを代表する啓蒙思想家だ。そう聞くと、書斎で理性と寛容について書き続けた人物を思い浮かべるのではないだろうか。実際、彼の膨大な著作は近代的な思想の土台を作った。
ところが、その執筆生活を可能にした元手は、印税でも遺産でもなかった。国営くじの設計ミスを突いて荒稼ぎした金である。
1729年、フランス政府は国債の人気を回復させるため、国債の保有者だけが参加できるくじを始めた。当たれば債券の額面が戻ってくるうえに、50万リーブルの賞金が上乗せされる。年収3万リーブルもあればかなりの富裕層という時代に、50万リーブルは一生遊んで暮らせる金額だった。
問題は、券の値段の決め方にあった。券は保有する債券1口につき1枚買え、価格は額面の1000分の1。額面1000リーブルの債券なら券は1リーブル、額面10万リーブルなら100リーブル。ところが当選確率は、どちらの券もまったく同じだったのだ。つまり、安い債券を大量に持っている者ほど、同じ当たりくじを100分の1の値段で手に入れられる。
この穴に気づいたのが、数学者シャルル・マリー・ド・ラ・コンダミーヌだった。値崩れした債券を買い集めて1000リーブルずつの小口に分割すれば、1枚1リーブルの券を大量に握れる。賞金より遥かに少ない出費で抽選の大半の口を自分たちで埋めてしまえば、あとは勝ち続けられる。ラ・コンダミーヌはヴォルテールに話を持ちかけ、二人は仲間を集めて13人の組合を作った。
毎月8日の抽選日、彼らはそのたびに富を増やし、1730年6月までに全員がまとまった額を手にしたという。ヴォルテールの取り分はおよそ50万リーブル。彼はその金をロレーヌ公国へ持ち込み、同じ手口を繰り返したという。パリに戻ってからは軍需物資の商売に投資して資産をさらに膨らませ、その金で社会的地位を得て投獄や迫害から守られ、著述に専念できた。
露見のきっかけは、ヴォルテールの悪ふざけだった。当時のくじ券は裏に縁起のいい文句を書き添える習慣があったのだが、彼は偽名を使いながら、このくじを考えた財務次官ペルティエ゠デフォールを称える皮肉な文句などを書き込んでいた。当たり券の裏に並ぶ名前があまりに似ていることに当局が気づき、組合の存在が発覚する。次官は組合を訴えたが、審理が続いている間も毎月8日の抽選は行われ、彼らはそのあいだも勝ち続けた。そして王室顧問会議が出した結論は、組合の勝ちだった。ルールは何も破られていないので当然である。稼いだ金はそのまま彼らのものとなり、代わりにくじが廃止され、ペルティエ゠デフォールは職を失った。
組んだ相手のラ・コンダミーヌも当たり金を無駄にしなかった。3年後、彼は地球の本当の形を測る遠征隊に加わって南米へ渡り、地球が完全な球ではなく極がわずかに潰れていることを実証している。アマゾン川を下った最初の科学者となり、ヨーロッパにゴムを持ち帰ったのも彼だ。国営くじの計算ミスは皮肉にも、哲学史と科学史の両方に貢献したことになる。