文化第197号朝刊

マラドーナを神として崇める宗教が実在する

チナミニチンチラが読み上げます(3分47秒)

「サッカーの神様」。ペレにもメッシにも使われてきた、サッカー選手を称える褒め言葉である。あくまで比喩であって、本気で神だと思って言っている人はいない——おおむね、そんな感覚ではないだろうか。

ところがアルゼンチンには、この言い回しを文字どおり受け取る人たちがいる。ディエゴ・マラドーナと、彼の美しいサッカーを崇拝する宗教「マラドーナ教」。ファンクラブの別名ではなく、洗礼も十戒も総本山もそろっている。1998年10月30日、マラドーナの38歳の誕生日に、ロサリオで3人のファンが立ち上げた。彼らが神を指す言葉は「D10S」。スペイン語で神を意味する「Dios」に、マラドーナの背番号10を割り込ませたものだ。

では、どうやって信徒になるのか。洗礼は、吊るされたサッカーボールを左手で叩く儀式によって行われる。1986年ワールドカップのイングランド戦で、マラドーナが手を使って決めてしまった「神の手」ゴールの再現である。つまりこの宗教は、教祖が犯した最大の反則をなぞらせることで、新しい信徒を迎え入れるのだ。

暦も独自のものを持っている。マラドーナが生まれた1960年が「ディエゴ暦」元年。誕生日の10月30日はマラドーナ教のクリスマスにあたり、ロサリオにある総本山「"神の手"教会」では「メリー・マラドーナ!」の挨拶とともに毎年セレモニーが開かれる。イースターは6月22日、例の神の手ゴールが生まれた日である。

教義の中心は十戒だ。ボールを汚してはならない、一つのクラブの名においてD10Sの名を語ってはならない、息子のミドルネームにディエゴと名づけろ——形式はキリスト教のパロディを取りながら、中身はひたすらフットボールの話に徹している。聖書はマラドーナの自伝で、第一戒はそこに記された「私は多くの過ちを犯したが、フットボールを汚したことだけはない」という一文に由来する。

面白いのは、信徒がカトリックを捨てているわけではないことだ。創設者の一人は、理性で信じる宗教はカトリックであり、心と情熱で信じるのがディエゴ・マラドーナなのだと語っている。マラドーナ教はキリスト教と併存する混合宗教として生まれ、信徒は世界60カ国以上に10万人を超えるとされる。

ちなみに、

この宗教には悪魔もいる。デビッド・ベッカムである。2002年ワールドカップでアルゼンチンを破ったPKを、信者たちはダイブ(ファウルを受けていないにもかかわらず、わざと倒れ込んで審判を欺くこと)によるものだと信じており、以来ベッカムは罵倒の対象となっている。手で押し込んだゴールは聖なる奇跡で、相手が得たPKは悪魔の所業。この線引きの徹底ぶりこそが、マラドーナ教なのである。

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