食第155号夕刊

シャンパンの発明者ドン・ペリニヨン、実は泡を消そうとしていた

チナミニチンチラが読み上げます(4分14秒)

「ドン・ペリニヨン」は、高級シャンパンの代名詞である。名前の由来は、17世紀フランスの修道士、ドン・ピエール・ペリニヨン。シャンパーニュ地方の修道院でワイン造りを取り仕切った人物で、世界で初めて泡の立つワインを生み出し、そのひと口を含んで「早く来てくれ、私は星を味わっている」と叫んだ——シャンパン誕生の逸話として、そんな話が広く知られている。

ところが、実際のペリニヨンがやっていたことは、この逸話と正反対だった。なんと彼は、ワインから泡を消すために生涯を費やしていたのである。

当時のシャンパーニュ地方で、瓶の中の泡は喜ばしいものではなかった。秋に気温が下がると、糖分を残したまま発酵が止まってしまうことがある。それを気づかずに瓶詰めすると、春の暖かさで休眠していた酵母が目を覚まし、瓶の中で炭酸ガスを作り始める。運がよければコルクが押し出されるだけ。悪ければ瓶そのものが破裂した。しかも周囲の瓶にも同じように内圧がかかっているので、最初の破裂の衝撃で次々と割れていく。一本の失敗が貯蔵庫全体の連鎖爆発を招き、その年の生産分も、そこで働く人間の身も危険にさらされたのだ。つまり瓶詰めされたワインは、文字通りの時限爆弾だった。

だからペリニヨンは、この瓶内の再発酵をなんとしても避けようとした。1668年にオーヴィレールの修道院で酒庫係となった彼が目指したのは、泡立たない上質なワイン、要するに最高の「非発泡ワイン」である。再発酵を起こしやすい白ブドウを嫌い、実を傷つけない手摘みとゆっくりした圧搾にこだわり、複数の畑のブドウを混ぜ合わせる技法を持ち込んだ。今日のシャンパン造りに受け継がれている数々の工夫は、泡を出すためではなく、泡を出さないための努力から生まれたものだったのだ。

それでも泡は止まらなかった。そこで彼は、割れない瓶を用意するという別方向にも手を打つ。厚手の頑丈なガラス瓶を取り寄せ、木の栓の代わりにスペイン産のコルクを使い、それを麻縄で縛って固定した。この「栓が飛ばないように縛る」工夫が、現代のシャンパンの口元を覆うあの針金のカゴの先祖である。泡を封じ込めようとした道具が、そのまま泡を楽しむための装備になってしまった。

結局、再発酵そのものを根絶することはできなかった。それでも彼が意図して泡入りのワインを造ったことは一度もなく、1715年に世を去ったとき、修道院の貯蔵庫にはブレンドを待つ赤と白のワインが並ぶばかりで、泡の立つ瓶は一本もなかったという。シャンパーニュで発泡ワインが主流の様式になるのは19世紀半ば、彼の死から100年以上あとのことである。モエ・エ・シャンドンが彼の名を冠したシャンパンを売り出したのは、さらに下って1927年だった。

ちなみに、

彼が星を味わっていると叫んだというあの名台詞も、本人が口にした記録は残っていない。活字で確認できる最も古い登場は、19世紀末の広告である。泡と戦い続けた男は、死後に泡を売るためのキャッチコピーの語り手にされてしまったのだ。

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