食第228号朝刊

和菓子の寒天、旅館のゴミ捨て場から生まれた

チナミニチンチラが読み上げます(4分2秒)

ようかんや水ようかん、あんみつの具材。日本の和菓子の土台を支えている寒天は、テングサなどの海藻を煮てこした液を固め、凍結と乾燥を繰り返して作る乾物だ。ほぼノンカロリーで食物繊維が豊富なため、近年は健康食材としても名を上げている。いかにも職人が長年の試行錯誤で磨き上げた代物に見える。

ところが、この素材の出発点は、旅館の外に放り出された食べ残しだった。

17世紀半ば、1650年代末の冬。京都・伏見の旅館「美濃屋」が、大名の食べ残したところてんを戸外に捨てた。ところてんは寒天の原型で、テングサなどの煮汁を固めて細長くしたもの。奈良時代に中国から製法が伝わり、日本で広く食べられていた。つまり、ここで捨てられたのは、当時としてはごくありふれた食べ物の残りである。

その夜、伏見の寒さがところてんを凍らせた。中の水分は氷となって抜け、残ったのは干物のようにカラカラになった塊だった。美濃屋の主人がこれを煮溶かしてみると、驚くことが起きる。元のところてんより海藻の匂いが少なく、透明度がはるかに高いものができたのだ。捨てたものが、元の品より上等になって戻ってきた。

この偶然が製法として定着する。18世紀初頭に編まれた『和漢三才図会』のところてんの項には「城州伏見の里にて之製す」とある。江戸時代の初めには伏見が主な産地だったことがうかがえる。寒天という名も、1654年に来日した中国の高僧・隠元禅師が付けたとされる。冬空を指す漢語に「寒ざらしのところてん」の意味を重ねた命名だ。食べ残しから生まれた副産物に、ずいぶん風格のある名前が与えられた。

ただし、この話は伝承として語られてきたもので、島津家をもてなした際の出来事だとする説もある。2020年には有志の手で、伏見区御駕籠町に「寒天発祥之地」の碑が建てられた。

今、寒天の生産量トップは海のない長野県だ。2023年の出荷額は全国一位で、国内シェアの6割を超える。諏訪の行商人が丹波の製造技術を持ち帰ったのは1840年頃。冬の冷え込みと乾いた晴天、豊富な山の水が、寒天づくりに向いていた。製法は今も自然任せのままで、切った寒天を屋外に並べ、夜に凍らせ昼に少し溶かす。これを2週間ほど繰り返すと真っ白に乾き上がる。伏見で起きた一夜の偶然を、産業規模で再現し続けているわけだ。

ちなみに、

その天然のフリーズドライには厳しい条件がある。寒天が凍るのは夜間の気温がマイナス6度以下。近年は昔ほど冷え込まず春も早いため、棒寒天を作れる期間は1カ月ほど短くなったという。自然任せの製法ゆえ、温暖化の影響を真正面から受けている。

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